乗らない自転車(平成26年度1月)平成27年1月

新年、明けましておめでとうございます。昨年の事を振り返りつつ、新たな希望や夢を抱いて新年を迎えられた事でしょう。今年も子供達とご家族の皆さんが笑顔で日々過ごせますように…。

さて、我が家には大学受験生がいます。頑張るのは本人ですが、受験生を抱える家族は、何かで協力してやりたいと、一生懸命に応援します…と言っても実際には何もできずに、ただただ気持ちが落ち着かないでいるものです。今や、正念場、年末からはクリスマスもお正月も返上で頑張る受験生です。本人も親も、目の前の事をやりこなすだけで精一杯です。そんな中、こんな事がありました。

我が家には、中学校の頃に買った娘達の自転車があります。塾や習い事をしていた頃に、二人がいつも乗っていた自転車です。中学校・高校と広島市内の学校に通い、朝早く学校に行き、夜は遅くなってから帰宅するという生活の中、その習い事の時間もとれなくなりやめてしまったため、ここ数年自転車にも乗る事がなく、置きっぱなしになっていました。私は、その自転車の事もすっかり忘れてしまっていたのですが、ある休日の夕方の事、珍しく家にいた娘が、庭にいたおじいちゃんの所に、『今晩は鍋をするから楽しみにしておいてね』と、話に行くと、おじいちゃんがその自転車のタイヤに空気を入れてくれていたそうです。しばらく、二人はそこで話し込んでいたようでした。それから、娘が家の中に入って来て、私に「あのね、おじいちゃんがね…」と二人の間で交わされた話を聞かせてくれました。

「おじいちゃん、空気を入れてくれてるの?もう最近乗ってないのに……」と娘が言うと、「そうじゃね。でも、おじいさんは、時々、こうして空気を入れてるんよ。里奈子ちゃんか夕奈ちゃんが、大学を卒業して…就職をして、“おじいちゃん、今日は天気がいいから自転車で行くね”ゆうて、この自転車に乗る日が来ればいいと思うてね。最近の事じゃけぇ、遠くの大学に行くのは仕方ないんかもしれんけど、おじいさんは…寂しいよ。」と、涙声で一生懸命に笑顔をつくって話してくれたそうです。そして、おじいちゃんは自分の服の裾で、自転車のホコリを拭いてくれたそうです。

おじいちゃんは、私達の子育てについて、決して自分の意見を押し付けたり反対したりする人ではなく、いつも影でどんな結果になっても見守ってひたすら孫の事を祈ってくれる人です。きっと、娘が二人共…と言えば無理かもしれないけど、どちらか一人でも、三次に戻って来てくれたらいいなぁと思っているのでしょう。しかし、直接その思いを孫に話すと、余計なプレッシャーや孫の意欲や意志を邪魔する事になるから、そう一人で願いながら時々自転車に空気を入れて願ってくれていたのだろうと思います。

長女は、2年前に家を離れ、この春には次女も家を離れる事になりそうです。おじいちゃんは、これまで、できる孫の世話を一生懸命にしてくれていたので、娘達もおじいちゃんの事は大好きです。長女に続き次女までが、家からいなくなる事が、おじいちゃんにとっては大変寂しい事なのでしょう。いつか、戻って来てくれたら…と願うおじいちゃんの気持ちが、本当にありがたくその気持ちに私は胸が熱くなりながら聞いていました。古い考えなのかもしれませんが、85歳のおじいちゃんにとって、家族がみんな近くにいてくれる事が何よりの幸せなのだと思います。困った事があったり辛い事があったりしても、そばにいれば何か力になってやれるし守ってやれる…そう思ってくれているのです。こういう愛情表現もあるんだなぁと思いました。“見守る”とはこういう事なのかもしれません。今まで、おじいちゃんがそんな事をしてくれていたなんて、一緒に住んでいても知りませんでした。娘にとって、おじいちゃんと久しぶりに話したこの短い時間は、どんなに心に響いたでしょうか。大切に…大切に思ってもらえている事に大きな幸せと、おじいちゃんを悲しませないように自分達も幸せにならなければ…という気持ちになったのではないでしょうか?今の時代ですから、娘達が必ずそうするとは限らないでしょうが、“帰っておいで”と願うおじいちゃんの胸の奥にある想いを十分に理解し、感謝して欲しいと思いました。それが、生涯、自分自身を大切に思いながら過ごしてくれる事に繋がるのでしょう。

受験勉強を頑張っている娘におじいちゃんが、「何かおやつを買ってあげよう。要る物はないか?」と聞くと「おじいちゃん、私…今、要る物は何もないの。ただ、学力が欲しいだけ…」とジョーク混じりに娘が答えたそうで、その事を愛おしく思って苦しかったと、おじいちゃんが私に話してくれた事があります。家族は皆、辛い想いや苦しい想いをしている我が子から、どうにかしてそれを取り除いてやりたいと思います。でも、その苦しみがその子のためであり、自分で乗り越えないとならない事であれば、じっと見守るしかありません。静かに見守る事が最高の応援なのかもしれません。これは、幼児期でも一緒だと思います。直接手を差し伸べるのではなく、その子の意地や頑張りが最大限に発揮できるよう、2歩も3歩も後ろで見ていてやる事は、子供達自身が自分の持っている力に気づき、自尊心を高める事に繋がっていくような気がします。そうして得た力は生涯のエネルギーとなるはずです。

我が家の“乗らない自転車”がいつもきれいだったのは、おじいちゃんの静かで大きな愛によるものだったのです。きっと離れていても、娘とおじいちゃんの間には、いつでも春のように穏やかで温かい風が吹き続けるでしょう。