悔しい思いはバネになる(2022年度)6月

幼稚園の庭がたくさんの作物や花で賑やかになっています。ゴールデンウイーク明けには、年長組の子供達がバケツ田植えをしました。年中組は保育室のテラスでひまわりを育てています。年少組や満3歳児の子供達もプチトマト、キュウリ、パプリカ等々、夏野菜の苗植えをしました。苗を見ただけでは「これがキュウリになるんだよ」と聞かされても「?????」……ピンときていないでしょう。今はそうでも、毎日観察していくうちに夏になり、小さなキュウリが生っているのをみつけた時どんなに驚くだろうかと楽しみです。子供達と一緒にたくさんの野菜や花を育てながら命の息づかいに触れ楽しみたいと思います。

さて、先日年長組は、書道教室をされている島田真由美先生を迎え“かきかた教室”をしていただきました。40分間という短い時間でしたが、島田先生との挨拶から始まり、机に向かう姿勢や鉛筆の持ち方を分かりやすく教えていただきながら名前書きを習いました。毎日一緒に生活している私達も“先生”ですが(笑)初めて会うその“島田真由美先生”にはまた違う眼差しを子供達は向けていたような気がします。少しだけ、“お勉強気分”を抱いていたのでしょう。いい緊張感が漂っていました。前以て、島田先生は一人ひとりに名前のお手本を書いてくださっており、子供達はそのお手本を見ながら静かに一生懸命に書いていました。年長組の子供達は、来年小学1年生になります。まだ先の話だけれど、子供達にとってそれは大変な憧れであり、自分が大きくなる事を実感できる節目として楽しみにしている事でもあるはずです。その楽しみを味わえる時間でした。

でも、みんながみんな字が書けるかというとそうではありません。「先生!書けたよ!」「見て!見て!」と先生達を呼んで得意気に見せてくれる子供達が出て来る中、サポートに来ていた先生がずっと付いてあげているひとりの男の子の姿がありました。その先生は丁寧に励ましながら教えてあげていました。姿勢とか持ち方とかを気にしている段ではなく、とにかくふたりで一生懸命紙に向かっていました。何度か繰り返し書いてやっと名前が書け、島田先生からはなまるをもらいました。つきっきりでサポートしていた先生は「よく頑張ったね!よく頑張ったね!」とその頑張りが愛おしくさえ思え、涙ながらにほめて一緒になって喜んでいました。書きたい気持ちで楽しみにしていた子供達は皆、書道教室の先生が用意してくださっていたお手本をあたかも「魔法のお手本」のように思っていたと思います。(これがあれば、先生の話をちゃんと聞いていれば書ける)と……。でも、そうではなかった。それを実感したその男の子は、もう書きたくない!やめたい!と諦めたくなっても不思議ではないくじけそうな気持ちの中、サポートしてくれる先生の励ましで踏ん張る事が出来ました。

また、ある女の子は、途中で紙と顔の距離が数センチになる程にして書いていました。どうしたのかと覗き込むと涙がこぼれていました。先生達が励ましていましたが思うように書ききれないまま“かきかた教室”は終わりました。その後、トイレに走って行きました。トイレから出て来たその子は涙顔でしたが、それは悲しい顔ではなくとても悔しそうな顔で、そのまままた走って保育室に帰って行きました。思うように書けなかった事を悲しいと思っているのではなく悔しいと思って涙が出たのでしょう。トイレに行ったのは、持って行き場のない気持ちをクールダウンさせるためだったかもしれません。

そして、翌日、私が各保育室を回っているとその女の子がひとりで机に向かっていました。部屋の中でいろいろなあそびが展開している中、ひとりで何をしているのかと後ろから覗き込むと、お手本を見ながら自由画帳に自分の名前を何度も何度も消しゴムで消しては書き消しては書きしていたのです。すると担任の先生が、「実は、昨日帰る前に、頑張った事をみんなの前でほめて、頑張る事を続けていたらいつか書けるようになるから!と励ましたんです」とこっそり教えてくれました。その子はそれからもずっと毎日書き続けていました。先生の昨日の言葉に支えられて頑張っていたのです。書き順とか、鉛筆の持ち方とかは正しくなくても、その子にとって先ず大切なのは悔しい気持ちをエネルギーに変えていく事でした。先に記した男の子も、またこの女の子も、書けなかった悔しい気持ちが劣等意識ではなく努力する気持ちに繋がったのは、その子に寄り添う先生達の心の眼差しがあったからでしょう。

『努力はいつか報われる』とか『努力は必ずしも報われない』とかいろいろ言われる事がありますが、この子達にとって“報われる”というのは“字が書けるようになる”事ではなく、“努力する姿を認めてもらえた喜び”“励ましに応えてみせようとする自分への肯定感”“成功へ向けて一歩一歩前進(クリアー)していく充実感”等、目標達成に行きつくまでにいろいろな所で点々と報われているのだと思うのです。子供達のこれからの人生の中でそう言った経験はたくさんあります。勉強、人間関係、受験、就職、結婚、どんな時でも、思い描いた夢に向けて設計図通りに行かなくても(そうならない事の方が多いですよね)いろいろな場面で繰り返し努力していく事はそれだけで粘る力を培い、何事にも向き合えるエネルギーになって行くのです。失敗や挫折や空虚感を何度も何度も味わいながら、それでもその時その時で得られる人との出会いや支えの言葉によって自分の力を信じ頑張って生きて行こうとできるのです。だから、私は『努力は必ずどこかでは報われている』と思っています。

そもそも、子供達は、努力しようとか努力しているとかと思いながら頑張っているのではなく、夢や目標を叶えるためにただ必要なプロセスに力を注いでいる──その様子を“努力”と称しているだけなのかもしれません。無心になっている姿に、私達大人が共感したりそのプロセスを踏んでいる間を励ましたり応援してあげる事で報われ続けるのではないでしょうか?

その後、頑張った男の子と女の子が、名前や字が書けるようになったかどうかはまだ道なかば……ですが、確実に自己肯定感は得られ自分の力を見直せるきっかけになったはずです。それは、文字を書く事だけではなく、生活のいろいろな場面で自分の中に潜在していた力を発揮できるエネルギーに変わって行く事でしょう。