えんちょうせんせいの部屋とは

2020年度から三次中央幼稚園の園長を務める 田房葉子のことです。
自分の保育実践や主任教諭としての経験をもとに、様々な観点から保育と子供の育ちを見つめた所感をまとめ、三次中央幼稚園が園児・保護者対象に月一度発行する園だよりに連載しています。子育ての参考にしていただければと思います。

先生の背中はぼくらの指定席(2025年2月28日)

保育室から聞こえてくる子供達の歌声……こうして部屋の外にこぼれて来る四季折々の歌をその都度その都度いろいろな思いをはせながらこの一年聞いてきました。いよいよ年度末。友達との別れを惜しむ歌や進級・進学に向けてエールを送り合う歌を聞きながら、子供達や先生達の気持ちを想像して胸を熱くしています。

先生の「おはよう!」

 毎朝、私は、園バスや車、あるいは徒歩で登園して来る子供達を先生達と一緒に門の前で迎えたり車の誘導をしたりしながらその様子を見守っています。子供達は、いろいろな表情で幼稚園にやって来ます。年度末ともなれば、どの子もみんな年度初めの4月頃とは違い、先生達が手を差し伸べなくても、「おはようございます!」と元気に挨拶をして走るように自分の保育室に向かって行きます。なかなか「おはよう」と言えなかった子供達も、いつの間にか笑顔で元気良く挨拶ができるようになりました。お家の人と離れられず涙を流していた子も、緊張の面持ちであっても気持ちを切り替えて、お家の人に「行ってきます」と言って園庭を真っ直ぐ歩いてお部屋に向かえるようになりました。門から幼稚園に入って行くこの短い時間の中でも、一人ひとりの成長がうかがえるシーンにたくさん出会えるのです。

「ママがいい!」からの…「ばいば~い!」

 そんな中、幼稚園で一番小さな満3歳児クラス(さつき組)の子供達は、まだその日の気分や朝起きて幼稚園に着くまでのリズムのちょっとした崩れに影響を受けて、機嫌よく登園出来ない時があります。「どうしたの?」と聞いても言葉にならないその子なりのわけがあるのでしょうが、保護者の方から聞く特別な事情がなければ、あえてその子に深く聞く事もしません。そんな気分になる時は誰だってあるからです。その日も、さつき組の女の子がお母さんからなかなか離れられずにいました。「さて、今日はブロックするのかな?」「早く行ってあそぼう!」と誘っても、お母さんの足元をくるくる回ってお母さんから離れようとしません。「ママがいい。ママがいい。」の一点張りです。そんな時、園庭の中ほどから「○○ちゃ~ん、早く来て~!」と言う先生の声。振り向くと担任の先生が背中向けにしゃがんで呼んでいました。(おんぶしてあげるからおいで~)と誘ってくれたのでした。それに気づいた女の子は急にお母さんから離れ、走って「みちこせんせ~い!」と、その先生の所へ向かって行きました。おんぶされた女の子は、先生の背中からママに「バイバーイ」できました。

 その先生は、幼いさつき組の子供達の機嫌がよくない時には、おんぶをしている場面をよく見ます。喧嘩したり寂しくなったりして泣いている時、自分の思い通りにならなくてプンプン怒っている時、聞き分けのない事を言って駄々をこねている時……。先生の背中に乗っかると、途端に気持ちが鎮まるから不思議です。先ず、落ち着かないと先生の話にも、友達の思いにも心を向ける気になってくれません。背中に居る間に自分なりにその時の気持ちに決着をつけて、気持ち取り直して再びしたい事に臨んだり、友達と遊べたりする場合もあります。

おんぶは人数制限あり、時間制限あり、スピード制限あり、だけどその時は、他の友達の手の届かない自分だけの居場所になります。先生の背中は、悩める子供達の指定席なのです。その時のスペシャルシートです。

大きくなったって、やっぱり……

 「重たいから自分で歩いてよ!」「もう、大きくなったんだから抱っこできないよ」───つい言っていませんか?子供達は、大きくなっても、自分の安全地帯をお父さんやお母さん、時におじいちゃんおばあちゃんに膝の上や腕の中や背中に求めています。大好きな人と身体が密着できている事で安心感や幸福感が得られると思うのです。叱ってしまった後、言い聞かせたい事がある時、悩みを聞いてあげたい時、褒めてあげたい時等、子供が不安な状態や溢れるほどの感情に子供だけでは受け止めきれない時には、惜し気もなく「ここにおいで」と、膝、胸、腕、背中を差し出してあげてみてください。

3人きょうだいの長子である私は、いつもお姉ちゃんとしてしっかりしていなければいけないと思いながら過ごしていたように思います。抱っこもおんぶも、妹や弟が優先でした。それは極々当たり前の事だと思っていました。小学校2年生の頃、母から頼まれたおつかいが上手くできずに、なかなか帰って来ない私を心配して迎えに来てくれた母の胸に飛び込んで泣きじゃくった事、その後、帰り道は母におぶってもらって慰めてもらった事、その時の母のぬくもりは、大人になった今でも忘れられません。素直に甘えて素直に泣けた事、私のためだけに手を広げて不安でたまらなかった気持ちを受け止めてもらい、背中に揺られて安心できた事を思い出します。

幼稚園では、先生がおんぶしてくれたり、ぎゅっと繋いでくれた手や「おいで~」と迎えてくれる声、ムギュ~と抱きしめてくれる両腕、絵本を読んでもらうお膝の中で、子供達は安心を得てくれていたと思います。そんな指定席を基地にして子供達は、これまでのびのびといろいろな経験を積んできました。

これから子供達は、今、出会っている人達と離れ、新しい場所で新しく人と出会うために新たに歩み始めます。どんな事があっても、帰り着く場所はお父さんお母さんなのです。心の基地がある事で、子供達は安心して世界を広げる事ができるのだと思います。

断捨離で気づかされた事(2025年1月31日)

新しい年を迎え、一カ月が過ぎました。“1月は行く 2月は逃げる 3月は去る”とはよく言ったものです。この3学期は進級・進学前の大切な3カ月です。慌ただしさの中にあっても、この言葉に流されず一日一日を大切に過ごしたいものですね。

12月にも書いたように、昨年末から大掛かりな家の片づけを始めました。少しずつ片付いてきた我が家──それでも、捨てるに捨てられない、だからといって置いておく場所もない、行き場のないかわいそうな物がまだまだ溢れかえっています。結婚する前の私の思い出の写真や日記、衣装ケースの中にしまったままでいつかは着るかも…と思って数年経っている洋服等はこの際思い切ってリサイクルや処分をする事にしました。

 ずっととっておいても、結局、将来、片づけに困るのは娘達だから…、今のうちに自分達で処分しなくちゃいけないと、主人と一緒にいろいろな物を分別しています。私が結婚する時に両親が準備してくれた物で一度も使っていない物が出て来て使っていなかった事が悔やまれたり申し訳なかったりして、胸が痛みましたが心を鬼にして処分しました。その次に頭を抱えている物、それは、写真です。自分の幼い頃の写真や娘達の生まれた時から今までの物が数えきれないほどありました。アルバムにしている物もあれば、忙しさを理由にバラバラのまま箱詰めにしていた写真もあり、とても大切な物なのに、それは到底大切にしているとは言えない状態でした。お正月に家族でその写真を見てある程度処分する事にしました。

 

カメラ越しの娘

幼稚園や小学校の行事での写真を見ていると、その時の事がはっきり思い出され、娘達は、「この時、こうだったよねぇ~。」「〇〇ちゃんを追い越して一番になった。観覧席から凄い声援が聞こえてめっちゃ嬉しかった事を思い出すわぁ!」等と、よみがえったその時の感動を語り合っていました。すると主人が「そうだったっけ?お父さんは、あまり覚えていないなぁ。」とボソっと言いました。「エーッ!お父さんが写真撮ってたのに?!」と娘達は不思議そうでした。主人は、「だって、撮り逃してはいけないと、カメラで追いかけるのが必死だったから……。」───カメラのファインダーからしか見れなかった主人には、レンズ越しに追いかける娘達の姿は、たくさんの友達とリレーをしている娘が感じていた周りの声援や風や空の色等、その時にしか一緒に感じる事のできない躍動的な全体の風景を共有できていなかった事があらためてわかりました。

 

思い出作りのための悲しい努力

そして、家族旅行の写真。幼かった娘達を連れていろんな所へ出かけていきました。その度にカメラやビデオを準備して(……そんな時代です。最近はスマホですよね)、それもまた楽しいと思っていました。なかなかカメラの方を見てくれなくて「こっちみてみて!こっちだよ~」とシャッターチャンスを狙いながら、行く所行く所で、思い出をカメラにおさめようと一生懸命だった事を思い出します。少し大きくなってからは、「写真撮ろう」と言うと「え~っ!またぁ~??」と、その度に足を止められてカメラの方を見ないといけないのが面倒臭そうに不機嫌な反応を見せるようになりました。

 

心のレンズで…

今、それらの写真を見返してみれば、思い出作りのためにと形に残す事しか考えていなかった親心でしたが、時間が経ってみるともっと一緒に子供達が興味を持った場所に興味のままに足を運び、楽しめば良かったと思うのです。写真を撮る事に時間を使い、子供達のしたい事や行きたい場所に向かう興味に足止めを喰わせていた事、その時の写真を撮る事が大変だった思い出よりも、もっと楽しい事ができたのではないかと思います。そして、今……思い出の写真の山……。娘達は、この親の努力(笑)に感謝してくれてはいますが、これらの写真やアルバムをまたいつ開いて見てくれるでしょうか?この先、そうそうないと思われます。それよりも、あの時こうだったよね~、ああだったよね~、と、写真には写っていない思い出……形ではない自分達の心のレンズで見た物や感じた空気、その一瞬一瞬を見て聞いて触れて家族で共有できる方が心の中に強く残る大切な財産になっていくのではないかと思うのです。

 断捨離をしながら、あらためて自分自身の……あるいは、家族の残したい本当の思い出や財産は何なのか?という事を考えてしまいました。

まだまだ可愛いさかりのお子さんを、撮らずにはいられない親心──、今はスマホ片手に手軽にきれいな画像が撮れます。データで残しておけるので、記録があふれかえる事もありません。良き時代です。でも、時々は、スマホ越しではなく、その時の我が子を取り巻くいろいろな物全てを感じ、その瞬間に一緒に声を出して笑ったり、泣いたり、叫んだりして、ご家族みんなで感動と思い出を共有してみるのも良いかもしれません。写真を撮る事に追われてその時の感動を逃してしまわないように、“記録”よりも“記憶”に残る思い出にしたい!

 あっ!💦 これ、写真撮り過ぎて、整理しきれずにいる今の私の後悔からの反省でもあるんですけどね。

難しい事って実は面白い(2024年11月29日)

2024年のカレンダーも残すところあと一枚になりました。街では、クリスマスムードが盛り上がり、年賀状やお節、福袋の話題……日々忙しくしている者にしてみれば、気持ちがそこにまで追い付かずせかされているようで、慌ただしさに拍車がかかります。

娘達の言葉

そんな中、終活(笑)ではありませんが、我が家の物置と化している部屋を片付ける事にしました。ずっと何とかしなければと思いつつ手つかずになっていた部屋は、思い出の品や書物等、仕分けて収納していたつもりがこの有様…と思われるほど溢れかえっていました。

その中で一番場所を占めていたのは、娘達の思い出の品でした。誕生から今までの撮り溜めたアルバム、うぶ着から幼稚園で作った作品や絵、小学校から大学までのカバンや制服、それを家族で懐かしみながら処分や整理をしました。幼稚園から小学校くらいまでのノートは可愛いばかりです。そして、中学校から大学までのノートを見て「よく頑張って勉強したんだね。(成績に反映されていたかどうかは別として)難しそう」と言うと、娘は「今見たらしんどくなるわぁ。でも、こういう数学の問題、何だか面白かった。たった一問をすごく長い時間一生懸命に考えて、最後に解けた時はすごく気持ちよかったなぁ。何とも言えないヤッターって気持ち!得意じゃあないけど、面白かった。」とまじまじとそのノートをめくりながら話していました。それを聞きながら、椅子に片膝立てて姿勢悪く机に座り、鉛筆片手に教科書とにらめっこしているその頃の娘の姿を思い出していました。一番勉強が楽しいと思えていた時だったようです。

“難しさ”を通して“本気”を引き出す

「難しい」と思う事を何とか乗り越える時、そこには、「本気」の気持ちで向き合う姿があります。時には時間を忘れたり周りが見えなくなってしまったりするほど夢中になります。何とか成果や答えを導き出そうと知恵や心身をフルに使って「本気」を出します。そうして、「わかった!」「できた!」「勝った!」という最高の喜びを得るのです。その喜びは、次の意欲に繋がります。難しい事にでも臆病にならず「ちょっとやってみよう。できるかもしれない。」という気持ちで向き合えるようになります。あの時頑張ってできた!という自分の力を信じてその次に味わったその時の喜びや達成感に出会うために「本気」出せるのです。

子供達は、まだ生まれて数年しか経っていません。これから出会うほとんどの事は初めてです。初めて見たり経験したりする事に興味津々です。そこの入り口は様々なカタチがあると思います。他者からの影響・“どうして?”という疑問からの追求・好きな事等…。それが難しい事であればあるほど、本気出して結果を自ら見出し喜びを得る───これが面白くてたまらないのです。

「本気」の先に……

今、まさに幼稚園の子供達は、友達や先生と一緒に「メロディーチャレンジ」という目標に向かって「本気」を出しています。初めて触れるいろいろな楽器と曲に出会い、ステージに立ち演奏したり踊ったりします。保護者の皆様においでいただくその日までには、いろいろな道のりがあった事は想像していただけると思います。はじめは、メロディーはわかっていても、うまく楽器で演奏できなくて、「もうしない。できないもん」と言ったりする子もいました。それでも、今では楽しくみんなで同じステージに立ち、演奏したり踊ったりします。そこには、大きな目標を掲げつつ、ひとり一人が自分の中での目標を持ちチャレンジする経験をし、「がんばったらちょっとだけできた!わかった!」という喜びを味わう経験を積み重ねてきた“本気”があるのです。

打楽器をしている男の子に「こうしたらもっと良い音が出るよ」と手を添えようとしたら、「わかってるってば!」と教えてもらう事を拒んでいました。でも、他の友達が先生に教えてもらってどんどん良い音がでるようになっていくのを見て、彼も自分も良い音にしたいと思ったのでしょう。「ねえ、園長先生、僕の音はこれで良かった?」と教わる気持ちになってきました。「うん!良くなったよ!その調子!」とオッケーサインをすると、「おもしろくなってきた!」と言うようになってきました。また、木琴のパートをしている子達は、主旋律だけでなく、それにハモりのメロディーも覚えて2本のマレットで音色を奏でます。きれいな音を出すのはとても難しいのです。でも、何度も何度も根気よく先生の指導を受けます。バス通園のある男の子が朝バスの中で先生に、「僕、今日楽しみなんだぁ。」と言ったので「何かあるの?」と先生が聞き返すと「ホールでの練習!僕、早く明日にならないかなぁと思って夜も眠れなかったんだぁ~」と言ったそうです。難しい事を一生懸命本気になって頑張ると、それは次の楽しみにつながる事を彼は実感していました。本番、子供達の誇らしげな姿や楽しそうな表情、音色は、そんな楽しさや喜びの努力の末に獲得した子供達の勲章です。

「難しい事は実はおもしろい」──それを知った子ども達はチャレンジする事への快感と共に学ぶ力を身につけていくはずです。

そんな子供達の姿を毎日見ながら一緒に過ごせている先生達もまた、楽しくてたまらないのです。

子供はこうして大人になっていく(2024年10月30日)

園庭のモミジやフーの木が、少しずつ色付き始めています。地球温暖化の影響により、日本の四季がなくなっていく可能性があると言われている中、やっと秋を感じる事ができる景色をながめてなんだかホッとします。季節と呼吸を合わせながら営まれて来た日本の生活が乱れる事なく送れる事を願いたいものです。

あの頃の僕、ごめん
 先日、20年前に卒園して広島市内に引っ越して行った男の子が、突然幼稚園に遊びに来てくれました。事務所の先生に案内され、園舎に向かって歩いて来る姿を遠目に見て、しばらくは誰なのかがわかりませんでした。すっかり大人になっていて驚きました。その子の事を知る先生達は、来てくれた事が嬉しくて大騒ぎでした。丁度、降園前に先生から絵本を読んでもらっていた時間だったので、彼は昔の事を懐かしむように、子供達に話をしてくれました。「みんな!幼稚園でいっぱい遊ぶんだよ。やんちゃし過ぎて先生を困らせないようにね。」と優しく……。その後で、彼は私に「葉子先生、僕、大人になって仕事もするようになって、いろんな事があったよ。先輩に叱られる事もあって、自分のダメな所やまだまだ勉強しないといけない所を思い知らされたよ。でも、ふてくされていても何にもならないから頑張ってるんだ。幼稚園の時は、絶対僕、先生を困らせてたよねー。今謝らないといけないね。ごめん。」と笑って言うのでした。あの頃の彼を思い出すとこんな事を言うようになるなんて想像もしていませんでした。その後、一緒に来てくださっていたお父さんと話すと、彼のお父さんは「お墓参りに三次に来たんですけど、この子が幼稚園に寄りたいと言うので、一緒に来ました。ここの幼稚園の事が忘れられないみたいで……」と言ってくださいました。私は、彼が、いろいろな事を経験して…人に揉まれてしっかりした考えをもった人になっている事に胸がいっぱいになりました。苦しんだり悩んだりした分だけ大人になっていました。

お父さんの気持ちにありがとう
 私達は子供達を育てるプロとして責任ある大切な仕事をさせていただいています。……ですが、ひとたび自分の子育てはどうだったかと振り返れば、全く胸を張れるものではありません。悩んだり嬉しい事があったりした時、先生同士でよく自分の子供の話をし合います。大学生になった娘をもつ先生とこんな話をした事があります。親元を離れ、一人暮らしをしている娘さんが、久しぶりに帰省した時の事、ちょっと高価なアイスクリームをねだったそうです。せっかく帰ってくれたのだからと、そのお高いアイスを奮発して買ってあげたそうです。でも、その先生は仕事からの帰りが遅くなりました。すっかり遅くなって買って帰ったアイスを冷凍庫に入れようとドアをあけると、すでにたくさんのアイスクリームが入れられていました。娘さんが、「アイスクリームを食べたい」と母親に言っていたのを聞いていたご主人が、ドラッグストアで安価なアイスをいっぱい買ってくれていたのだそうです。娘さんは、本当は、「私、こっちがいい!」と言ってねだっていたアイスを食べたかったのでしょうが、お父さんが買ってきてくれたアイスを食べたそうです。そして、大学に戻る日、お母さんにこっそり「お父さんが買って来てくれたアイスを先に食べてあげてよ!」と言い残した……と言うのです。自分のために、食べさせてやろうと思って買い、黙って冷凍庫に入れてくれていたお父さんの優しさとぬくもりに触れ、彼女はその思いに応えたかったのでしょう。親元を離れてあらためて自分を思う親の気持ちの深さに感謝しているのでしょう。それまででも、人の気持ちのわかる子でしたが、大学生になり、新しい環境の中で出会ういろいろな経験や人との関わりは、彼女をますます周りの人の気持ちに気づき気遣いがちゃんとできる素敵な大人にしてくれたのだと思います。私は、この話を聞いて胸が熱くなりました。

広がる世界の中で「大人」になる
子供達は小さい頃は、本当に小さな世界の中で守られて生活しています。しかし、成長と共に徐々にその世界は広がります。その中で、家族以外の人と出会いいろいろな考えや生き方に触れ、考え方の幅も広げていきます。そうしながら、これまでの自分を振り返ってみる事ができ、その先の自分の生き方を考えられるようにもなります。「大人」になるのです。
 親元を離れ、それまでと違う環境で他者と関わりながら、見える世界も変わってきます。そして、自己の考えを確立しながらも、自己の事ばかりではなく人の気持ちや考えを尊重しながら折り合いをつけて社会に順応するための気遣いをしながら生きていく───これが大人になるという事だと思います。そして、ふと振り返ってみると、そこにはずーっと変わらない親の愛情がそのスタートであった事にも気づきます。子供の頃から、できるだけたくさんの人・いろいろな人の中で、たくさんの経験・いろいろな経験をして、自分はどうだろう自分だったらどうするだろうと自己と向き合う機会をもつ事が、大人への階段を昇る事になると思うのです。こうして、成長と共に社会性が育ち自分の発言や行動に責任を負わせてもらえる大人になっていきます。子育ては親だけで背負うのではなく、ぜひ!周りの人の力を借りてみてください。おじいちゃんおばあちゃん、ご近所さん、ママ友パパ友、先生……たくさんの人に関わってもらう事で、子供達は大人になるための準備を少しずつしていくような気がします。そして、みんないつか必ずちゃんと「大人」になるのです。

ほめる──あなたのここが素晴らしい(2024年9月27日)

今年も、残暑の厳しい夏でしたが、朝夕は涼しくなり、日も短くなって来ました。これからは、気持ちの良い秋空の下で身体を思い切り動かしたり、秋の自然に目を向けて心動かされたりする経験を楽しみたいと思います。

気持ちの良いあいさつに“嬉しいよ”

夏休みを終えて2学期の始まりの朝、子供達は、いろいろな表情で登園して来ました。緊張した顔、笑顔いっぱいの顔、みんなに会える事を楽しみに期待いっぱいの顔……。そんな中、ひときわ大きな声で「園長先生!!おはよう!今日から2学期なんでしょ、私、楽しみな事がいっぱいある!」と、話してくれる女の子がいました。新学期を待ち望んでいた事が手に取るようにわかりました。息継ぎもするかしないかのようなその子の話しっぷりが微笑ましくて、しばらく聞いていました。話し終えて落ち着いたところで、「園長先生は、ここで〇〇ちゃんを待っててよかった。楽しい話が聞けたし、一番に“園長先生!おはよう!”って言ってくれたから嬉しいよ。すご~くいい2学期になりそう!」と言いました。すると、その子は「うん!私も!」と言って笑っていました。その子は帰る時も「園長先生!さようなら!」と自分から言ってくれます。

さりげない優しさに“ありがとう”

2学期から、満3歳児クラスには、5人のニューフェイス達が入園してくれています。まだ、新しい生活に慣れず涙する子もいます。そんな姿も可愛く思えるのか、年中年長のお兄さんお姉さん達が気にかけてくれています。そんなある日、私が、泣いている満3歳児の子の涙と鼻水を拭いてあげてその子をおんぶしようとしていると、ある年中組の女の子が来て「そのティッシュ、捨てておいてあげようか?」と言ってくれたのです。どこかで、その様子を見ていたのでしょう。「ありがとう!助かるよ。おんぶしてゴミ箱まで行くの大変だなぁ~って思ってたんだよ。ありがとうね。」とお礼を言いました。その子は「どういたしまして。バイバイ。」と泣いていた子に優しく手を振って向こうに行きました。

ほめ方とほめるタイミング

先日、ある施設が主催する“子育て講演会”に参加し、興味深く話を聴きました。その中で、児童精神科医の「子供を“ほめること”」についての研究結果をもとにした話を聴きました。

“知能”をほめられた子供は、失敗する事を恐れ、問題の正答数が大幅に減ったが、知能ではなくその“努力”をほめられた子供は、失敗しても以前より多くの問題を解けるようになった。

また、

“結果”をほめられた子供は、良い結果がでる易しい問題にしか取り組まなくなったが、結果ではなくそこに至るまでの“努力”をほめられた子供は、難しい問題にチャレンジする事ができるようになった。

……この研究から、「知能」や「結果」ばかりをほめると、ほめられたいが為に、良い結果が出せる事にしか取り組もうとしなくなる傾向に陥る…というのです。

ほめるには、子供の心に刺さるほめ方があります。どうしてほめられたのか、ほめてくれたお母さんお父さんは…先生は、私の僕のどこを認めてくれたのか、なぜ、嬉しそうなのか、なぜ、幸せそうにほめてくれたのか……。ほめてもらえた事で、それが子供の心に届くのです。そしてそれが、子供達の向上心やチャレンジ精神を育てる事に繋がっていきます。

さて、来月は「わんぱくチャレンジ」で、頑張る子供達を観ていただきます。これまで、様々な種目において努力をしたり、友達と力を合わせる大切さを知る経験をコツコツと積み上げて来た子供達の表情を観て、どのようにほめていただけるでしょうか?「わんぱくチャレンジ」の一日だけではなく、また、できたできなかった…速い遅いの結果ではなく、その日までの、あっただろう“努力”や“仲間意識の高まり”を感じてそこをほめてあげて欲しいのです。結果にばかり目を向けるのではなく、そこに至るまでの過程に目を向け、その部分をほめて感動した事を言葉にしてあげるのです。すると、子供は、頑張って良かったと実感できたり、そうした事で人も自分も嬉しくて楽しい気持ちになれるという事があらためてわかり、自分の頑張りや良い行いがより確かなものになっていくのです。

そして、それは、その子の成長の通過点の一部である事も忘れないでください。これから、どんどん成長して自立した大人になって行くまでの、ここは、ポイントに過ぎないのです。大きく考えれば、人生のプロセスを踏んでいる最中なのです。人生の中で、こうしたポイントを何度も通過しながらその度に他者に認められ承認称賛される事により、自己肯定感を得ます。そうして、認められた力に自信をもって生きて行ける子になるような気がします。

私達は、幼稚園生活の中で、まだ見えない先の先のずーっと先に見える“強く逞しく生きて行く子供達の像”を夢に描き育てています。

日常の中でも、その子のとった言動に「あなたのここが素晴らしい」としっかりほめてあげてください。それは、子供達の成長において大きな力になります。