お知らせ

熱中症後遺症-その後のその後

2019年の6月に最初の熱中症。その後の経過はこのブログに書き込んできました。
久しぶりに、更新。

発症以来3回目の夏が来ようとしています。

今年の夏も暑いらしい。

バドミントン続けています。ただ、あの頃のように、練習後に着替えなかったり
急いで帰ったりは極力しないように気を付けています。

2019年の12月以来、救急車のお世話にはなっていません。

ただ、かかりつけ医には1か月に1回の割合で通っています。
MRIの検査で異常は見つかりませんでした。

今年になって、頭痛がするようになり、かかりつけ医の紹介で
脳神経科にも通っています。

そのため、飲み薬、ずっと続けているめまいの薬以外に、頭痛を抑える薬も飲んで
いるので、ちょっと大変。

夜、寝つけない症状は続いているので、寝る前に飲む精神安定剤は欠かせません。

熱中症の後遺症かも?と考えられる、シンシンと頭の中で音がする症状がずっとあります

めまいの薬を飲み忘れているときなどです。

かかりつけ医に相談しても、薬飲んでくださいというだけ。
このまま、薬を飲み続けていいものか、心配になることもありますが
きつい薬ではないので大丈夫なようです。

といった近況です。

まだ暑さはこれから。無事に乗り切れるか、祈るばかりです。

画像をダウンロードさせない

お客様からの要望です。

少し工夫してみました。

写真をアップしてみます。

美味しそうなトマトです。右クリックしても「画像をダウンロード」が出てこないです。

ギャラリーの場合、リンク先を「メディアファイル」にして別ウインドで開くと、ダウンロードが出てきてしまします。ギャラリーを使ってもリンク先を「なし」にしておくと大丈夫です。ダウンロードはできません。

コロナ禍の在宅ワーク

通勤には、バスと地下鉄を利用しています。たまに阪神電車も利用します。

緊急事態宣言が出ましたね。昨年の宣言の時は、目に見えて通勤者が少なかったのですが、今回はあまり変わりません。

前回の場合は、百貨店やショッピングモールが休業、学校も休校。そのために通勤者や通学の人が少なかったのでは?

本当のところ、テレワークや在宅ワークしている人はどのくらいいるのでしょう。

アストックのように、パソコンがあれば完結するような仕事はあるようでそれほど無いのかもしれません。

大阪シティバスが「年末年始に実施した平日ダイヤにおける一部の便の運休を1月12日(火)以降も当面の間、継続します。」

理由がどこにも掲載されていない。年末年始は通勤客が少なくなるからわかるけど、今、そうする理由は何でしょう。

昨日の夕方、大阪駅を出発するバスが1本減便されていたので、減便の後のバスは超密状態。謝っていた係の人に、減便の理由を聞けばよかった。

そんなんで、在宅ワークは、ありがたいです。

 

熱中症後遺症とパニック障害

ドライブで思い出したのは、今年の初春ごろ。

弟と、私、相方の3人で、彦根から大阪までの名神。

名神は混んでいたのに大雨。土砂降り。滝のよう。
前が見えない。夜だったので前の車のバックライトがたより。

渋滞に近いのにこの大雨。事故が起こっても、おかしくない。怖い!

弟が、前の席に座っていたので、後部座席にいた私。

前が見えないから、余計怖い。過呼吸になりそう。
手が震える。しびれる。これって熱中症の症状と同じ?

休憩することになっていた「桂川」のドライブインが待ちきれない。

やっと着いた桂川。雨の状態はまし。だけど、歩けない。
伝うようにして、女子トイレへ。

トイレのドアが手が震えて開けられない。

何とか。

売店のほうに向かうが、不安が増し、救急車ドライブインに
来てくれるかな?なんて考える。

相方とレストランの椅子で休憩。少し収まってくる。

雨が、小やみになってきたので出発。
無事大阪にたどり着く。

車の中での症状、パニック障害で検索すると、その症状は似通っている。

熱中症後遺症の正体は、パニック障害だったのでしょうか。

I医院で質問しても、精神科だな。って言われるかも。

この事件以降、後部座席には、極力乗らない。

助手席が定位置になっています。

4連休の人出

久しぶりのドライブ。
さわやかな秋の空です。

相方の運転で明石大橋から淡路島へ行ってきました。

予想外の混雑!阪神高速も、明石海峡大橋も、渋滞。

観覧車で有名なサービスエリアも満車。
乗りたかった観覧車は外から見る限りでは、動いていないような。
確かに、「密」。

仕方なく、次のインターで一般道へ。

とにかく、車降りたいのに、駐車スペースが無い。
駐車場は満車。コンビニも無い。食事処もいっぱい。

釣り場の駐車場がかろうじて少し空いていたので500円払って休憩する。
料金番のおっちゃんが「良かったね。最後だよ」って。

海のにおい!風!
持って行って良かったのおにぎりがおいしい!

大阪湾とつながっているはずなのに、この解放感とすがすがしさは全く違う。

思い切って来てよかったって話しました。

コロナ禍でめったになかった、行楽の渋滞。

疲れたけれど、何か、懐かしい日常に戻ったような。

早く、安心していろんなところに出かけられるようになって欲しいですね。

自宅マンションからみた初秋の淀川河口。近くに阪神高速湾岸線。はるか先に明石海峡大橋が見えます。


「靭公園バラまつり」オンラインですって!

世界スーパージュニアテニス大会も、今年は中止らしいです。

バラまつりと世界ジュニアテニス。

すぐ近くの靭公園で、若者たちの素晴らしいプレーが見られると楽しみにしていました。残念です

楽しみが、なくなってしまう今年です。コロナのせいです。

「バラまつり」はオンラインで開催とのこと。
これはこれで楽しみかもしれません。

今年の「靭公園バラ祭」はオンラインで開催します。

ただ、バラの香りの中を、一人でゆっくり散歩。には、代えられないとは思うのです。

熱中症の症状3と後遺症

3回目の発症は昨年7月末、筋トレ、バドミントン後の大阪駅。

ここで助けてもらったOLさんのことなどは昨年のブログに書いています。

私の場合の熱中症の症状についてのみ書きます。

・めまい(上下に揺れる)
・手のしびれ
・まっすぐに歩けない
・吐き気ー吐く
・過呼吸
・手の震え

今回は、救急車で搬送、病院での点滴の後、帰宅。
翌日は半日寝ていました。

その後、後遺症に悩まされることになります。
後遺症は、一年以上続き、いまだに完治していません。

大阪駅で、周りに助けを求めても気づいてもらえなかった時間がありました。
病院での手当までの時間が少し長かったからかもしれません。
たぶん1時間程度でしたが。

まっすぐ歩けないは、最近まで続いていました。
歩くときは足元を見ないと怖い状態がいまだにあります。

暑さの中のスポーツは余裕のある時に切り上げる。
これに尽きると思います。

また症状が軽いうちに病院に行くこと。
安静にしていたら改善することはなく、時系列で悪化。
自分でわかります。

はっきり言えることは、遠慮しないで、救急車のお世話になること。
命にかかわります。

遅れると、後遺症に悩むことになるのです。

熱中症の症状2

忘れないための備忘録。その2
昨年の6月末。

火曜日の夜。筋トレとバドミントンの帰り。
大阪駅からのバス。
バスの排気ガスが気になる。気分が悪くなる。

冷房が効いているので、暑くはない。
バスが大きく揺れると感じた?同時にめまい。
地震のように大きく上下に揺れる。
約40分乗車。下車しようとしても歩けない。
つかまりながら、ゆっくり下車。

相方を携帯で呼ぶ。3年前と同じバス停のベンチ。
吐く。5回ぐらい。何も食べていなので、水と胃液のみ。
歩けない。話せない。手が震える。しびれる。
じっとしていたら大丈夫の段階ではない。明らかに悪化。

相方が救急車を呼ぶ、3年前よりひどい状態なので相方も取り乱している。西区からしか来られないとのことで、場所の説明要。電話を替わるがしんどくて話せないので「もういいです。」

断ったが来てくれた。病院で点滴。体温を下げる点滴か、寒くて異常にに震える。

2時間ほどで相方の車で帰る。

次の日は、何事もなかったように、仕事に行く。

熱中症の症状1

あくまで、自分の場合ですが、症状のメモ書き。

1回目:3年前-9月
レクセンバドミントンの帰り。みんなで校門出て機嫌よく別れました。

地下の阪神電車乗り場。吐き気。頭痛。
3駅先の千鳥橋で下車。バスに乗り換える。
揺れが激しい。地震かなと思って周りを見るがみんな平気な様子。
早く着いてほしい。たぶん、めまい。

最寄りのバス停についたけどバスの中で歩けない。つかまりながら下車。
バス停のベンチで少し休むが、歩けなくなる。
早く帰宅していた相方を携帯電話で呼ぶ。

飲み物を・・と言ったのか、水を買ってきてくれる。飲めない。手がしびれてくる。話せなくなる。過呼吸になり苦しくなる。
相方が救急車呼ぶ。救急隊員が息を吐くように言う。手のしびれがましになっていく。

病院では、頭のCTとか検査してくれたらしいが、覚えていない。気が付いたら点滴してもらっていた。異常は見つからなかったよう。

2時ごろ、相方の運転で自宅に戻る。

次の日は、何事もなかったかのように、仕事に行く。


熱中症にならない!

昨年は、熱中症で救急車に2回、正しくは3回もお世話になりました。
6月末、7月末、あと12月⁈

その間には、救急病院にそれも夜間に。

今から思えば、もう少しセーブすればよかった。

バドミントンだけに満足できずテニスも。
コロナ禍の今では、考えられないくらい自重していませんでした。

暑さの残る昨年9月。臨時のテニス教室が開催されるとのことで、1か月だけ参加。熱中症を何度も起こしているのに、懲りない。

最終日は残暑厳しい日。

練習の途中で気分が悪くなり、講習途中で早退。地下鉄に急ぎました。
ホームで待っているとすぐに電車が。ところが怖くて電車に乗れない。
足がすくむ。見送って、外に出る。会社の近くなので社長に電話。
迎えに来てくれることに。

待てないぐらいしんどい。冷房の効いた近くの郵便局で待つ。思い出してデパス錠を飲む。

デパス錠は、気分が悪くなった時に飲むように言われている。眠れなくなった時にも。

少し落ち着いたので、社長に病院に連れて行ってもらう。

今季、3回目の救急病院。この前の研修医でないように、祈っていたのに。「また、会いましたね。」だって。点滴だけして、帰る。
二度と行きたくない!

熱中症の後遺症なんて診断はない。明日以降、専門の外来に行くように言われた。頭なら脳外科。精神的なものなら精神科。めまいなら耳鼻咽喉科とか。

そんなんではないのに、わかってくれない、バカ研修医。

昨年の出来事、12月のは、また書くことに。
今年は、まだ一回も熱中症になっていない。発症しないように祈るばかり。
二度とあんなしんどい思いはしたくない。

MRIは今年初めに。結果は異状なし。