コミュニケーションとは

1つめの「コミュニケーション能力の開発」では、どういった考え方を松陰はしていたのでしょうか。吉田松陰の行った松下村塾での教育は徹底した議論や討論でした。それは松下村塾だけではなく、他藩へ遊学や他の塾へ訪れたときも同様で、新しいことを学ぶだけではなく、自分の考えを述べ、他藩の人と議論することで、自分の人的ネットワークを広げていきました。そして、そのために必要だったのが「コミュニケーション能力」です。

 

ただ、一口に「コミュニケーション能力」といってもいくつかのものがある。その一つは「ディベート」です。ディベートはいわゆる討論による試合です。設定されたテーマについて「肯定派」と「否定派」に分かれ、決められた時間・順番によって討論し、第三者が評価を行います。そして、どちらが論理性、分析力、実証力によって第三者を説得できたかを競うのです。しかし、これは優劣を競うものなのでコミュニケーションとは言えません。次に「プレゼンテーション」です。これも自分のペースで話を進め、企業説明や商品紹介などはやりやすいが、一方通行になりがちです。では、どういったものが企業に求められるコミュニケーションなのでしょうか。

 

それは、「気持ち、意図、考え方などを言葉、文書、態度(表情、しぐさ、動作)などを通じて、必要な人や集団に伝え、様々な共有関係をつくり、課題の発見や問題解決に向けて関係者の知恵を集めていくプロセス」のことを指すのではないかというのです。ここにある共有関係というのは「上司と部下、やチームなど」のことを指します。そして、それらの目標や、知識、情報、仕事の進め方、判断の仕方、技術・技能などを共通に理解・認識していることの事を指します。そして、こういった共有関係を通じて、何が問題なのか、解決すべき課題なのかについて議論をして、認識を一致させることが大切になるのです。

 

こういった集団において必要とされるのはディベートやプレゼンテーションといった一方的であったり、勝ち負けといったやり取りではなく、新しい価値をつくるイノベーションが起こるやり取りの事をコミュニケーションというのだろうと思います。そして、そのためには統一された目的や目標意識が無ければ考えられませんし、それらが共通認識されていなければ、整理するものさしがなくなり、価値観をぶつかり合わされてしまいかねず、結果話を聞き入れるということも困難になってしまうかもしれません。そのため、周りの環境に対して、課題解決に向けて知恵を集めていくプロセスをコミュニケーションというです。

 

組織や集団におけるコミュニケーションとはただ会話やおしゃべりをするということではなく、課題解決に向けて知恵を集めていくことを指しているということはとても大きな意図であると言えます。そして、いまいち定義化されておらず、霧が覚めるかのようなすっきりとしたまとめ方をされているように感じます。このことはよく整理し、今の現状が正しいコミュニケーションが起きているかということを見ていきたいと思います。